その努力は— 無駄な骨折り

2018年12月9日ストア派哲学

ある人が本をよく読み、よく書くと聞いても、それだけでその人を勤勉とよぶことはできない。たとえ夜通しそうしているとしても、同じこと。その人がいったい何のために頑張っているのか、それがわからなければ、勤勉かどうか判断のしようがないーーー
もしもその人が、自分の魂のこえに応じて努力し、自然の理に従って生きようとしているならば、勤勉とよんでよいだろう

エピクテトス「語録」

自分は「何を」「なぜ」して「どこへ」行きたいのか